肘折温泉を訪れるたび地蔵倉にお参りする。麓の薬師神社にお参りして山道に入り、男岩(力石)、末広木、子造り地蔵を横目に登っていく。道中出会うお地蔵さまたちは「おかえり」と声が聞こえてきそうな優しいお顔。地蔵倉から戻り上の湯に浸かりお地蔵さまに再会すると、肘折に帰ってきたなぁ...という気持ちが込み上げてくる。山から里まで微笑みで見守るお地蔵さまたち。誰かがお地蔵さまに手を合わせるたび、祈りは里から山まで昇っていくような気がする。
地蔵倉の窟の表面には無数の孔がある。孔に紙縒りを通すと縁結びのご利益があると云われ、窟には数えきれないほどの紙縒り、紐、そして五円玉が結ばれている。紙縒りは地蔵倉と自分を結ぶ緒のようだ。旅立ち、再び戻ってくる日には自分が結んだ紙縒りを思い出す。窟の表面の五円玉の重なりに、地蔵倉を訪れ緒を結んだ人たちの祈りの重なりを思う。そこには肘折で過ごした日々の安らかで温かな思い出も残されているのだろう。紙縒りを通す孔を探しながらふと見上げると、窟の上に緑の木々と青い空が覗いた。お地蔵さまに導かれ、祈りと願いは里から山へ、そしてきっと空に昇っていく。
2015年に初めて滞在してからこれまで何度も訪れてきた肘折。「おかえりなさい」という声に迎えられ訪れるたびに懐かしさが増していく。少しづつ変わっていくことへの気づきや、大きく変わったことへの切なさも加わっていく。2015年に初めて描いた灯籠でテーマに選んだ地蔵倉を今年、もう一度描いてみようと思った。和紙に小さな穴を開けた時にこぼれる光が好きだから、地蔵倉の窟の無数の孔を本当の穴で表現しようと考えた。ほていやで買った線香に火を灯し、小さな穴をたくさん開けた。その上に、五円玉をイメージした丸い絵を重ねた。絵を描いた和紙には蝋を染み込ませ、光がより透けるようにした。丸い絵の中に描いたのは、私がこれまで出会ってきた肘折の宝物のような風景のかけら。お気に入りの場所におすすめの食べ物、そしていつもここにある、祈る人たちの姿。温泉街の一角で、はたまた温泉の中で祈る人たちの祈りと願いはきっと山の上の地蔵倉へ、そして空まで届いている。9年間で気づいたその感覚を灯籠絵に表した。
【消灯】
【点灯】
【音声解説】
広島県呉市音戸町生まれ。2010年アラスカ大学フェアバンクス校卒業。2017年東北芸術工科大学大学院修士課程修了。2018~2020年、東北大学東北アジア研究センター災害人文学ユニット学術研究員。2022~2023年、文化庁新進芸術家海外研修制度・研修員としてノルウェーに滞在。国内外各地の鯨類と人の関わりや海のフォークロアをフィールドワークを通して探り、エッセイや詩のリトルプレス、刺繍作品として発表する。リトルプレス『ありふれたくじら』主宰。
【ウェブサイト】
http://www.sakurakoretsune.com/